悪魔の言うことにも一理ある ―“ヘビのように賢く”引き寄せる法
2016/12/07
わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。だから、へびのように賢く、はとのように素直であれ。 ――マタイによる福音書 10:16
引き寄せの流派にもよるが、きれいごとが多すぎると思っている人も多いのではないだろうか?
・「人を愛せよ」を信じて博愛主義者になってみたけれど、悪い人間関係がいっこうに改善できない
・人に幸せを与えることで自分がリッチになれるっていうけれど、いっこうに善意がお金になって返ってこない
・「許すことの大切さ」に感化されてたくさん許しているのに、うっかり付き合ってしまったダメな恋人が真人間になることはなさそう
――こんなふうに感じているあなたは、人よりも感受性が豊かで優しい人間。
自己犠牲を払いすぎな人。
善意を利用されてしまいがちな人。
引き寄せ本やスピリチュアルの教えでは、愛、善意、赦し、感謝、そういったものを強調する。
もちろんそれらは大事だが、それによってあなたが消耗してしまってはいけない。
だからあえて言わせてもらいたい。
鳩のように素直なあなたへ。ときには、ヘビのように賢く、あなた自身を幸せにしてあげてほしい。
悪い人間関係を断ち切る言葉
こちらが愛すれば、愛される。
許せば、許される。
与えれば、与えられる。
これは真理だ。間違いない。
だがもしあなたが悪い人間関係のなかで、愛すること、許すこと、与えることに疲れているのなら、私が悪魔に代わって言いたい。
その人たちを愛することも、許すことも、与えることも、もうやめていい。
かわりに、あなたはあなた自身を許し、愛し、自分自身に幸福を与えるべきだ。
あなたが自分自身をもっと愛せば、その愛の波長に合う人が引き寄せられてくる。
あなたが自分自身を許せば、あなたが許す価値のある人が引き寄せられてくる。
あなたがまず自分自身に与えれば、その喜びは周りの人にも波及する。
もし、ストレスを噛み潰し、不満を飲み込み、我慢しながら誰かを愛してあげよう、許してあげよう、与えてあげようと無理をしていれば、負の波動を生み出すことになる。
善意によって悪意を引き寄せてしまう。
そうならないためには、博愛主義者をやめること。
とりあえず、いまだけは。
聖書の中で、弟子の「何回まで人を許したらいいですか?」という質問に対してイエスは「7の70倍まで許せ」と言う。
その一方で、「豚に真珠を投げてやるな」とも言っている。
ペテロがイエスのもとにきて言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、いく度ゆるさねばなりませんか。7度までですか」
イエスは彼に言われた、「わたしは7度までとは言わない。7度を70倍するまでにしなさい。 ――マタイによる福音書 18:21-22
聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。 ――マタイによる福音書 7:6
もし、490回許した相手が、豚だったとあとで分かったら…?
人か豚かを見極めるにはどうしたらいいのか?
「仏の顔も三度まで」ルールで見極めればいい。
あなたが許せないようなことを3回されたら見限っていい。
その人はいくら許してあげても改善される見込みはない。
豚に真珠は3つまで。
“ヘビのように”貧困から抜け出す
お金の問題も、引き寄せや成功法則の通りにやってもなかなか改善できず、経済的に深い悩みを抱えている人も多いことだろう。
与えたぶんだけ与えられる。
あなたがしてほしいことを誰かににすれば、それが巡りめぐってお金として返ってくる。
それは真実。不変の黄金律。
だが、いつ返ってくる?
それを待っているだけの余裕がない場合、どうしたらいい?
豊かな気分を生み出せば、豊かさを引き寄せる。
心地いいイメージが、心地いい状況を引き寄せる。
それは事実。宇宙の法則。
だが、宇宙銀行の振込み日はいつなのか?
2~3営業日以内に振り込まれるのか?
スペースATMの営業時間はいつなんだ?
――まずは、0をたくさん書いた“夢の小切手”より、“現実の小銭”を引き寄せてみよう。
引き寄せは、小さいものから。
小銭ではあなたが必要としている金額に足りないかもしれない。
だが、あなたが引き寄せる小銭こそが、じつは大金を引き寄せるカギなのだ。
小銭を引き寄せたら、その中から“与える”ことをすればいい。
どんなに小さな喜捨であれ、それはさらに大きな富を連れてもどってくる。
あなたにとって無理のない範囲で他者のためにお金を使うなら、あなたのふところが痛むこともない。みんなハッピーだ。
他者に善なすためにこそ、まずはあなたが豊かになろう。
“ありがたいお言葉”をするどく見極める
引き寄せの法則やスピリチュアルの教えでは、非現実的なほどのきれいごと、偽善的な行動が推奨されるもの。
その中の多くは真実だし、もし根気よく実践していくのであれば奇跡さえ起こせるだろう。
だが、きれいごとを信じすぎて現実で傷ついてしまう人も多い。
本当は、そんな人こそ幸せになるべきだと私は思う。
どの“ありがたいお言葉”を信じればいいのか?
信じるべき教えは、その言葉を発する人自身が、苦境から這い上がってきた人であるかどうか。
もし苦難を乗り越えた上で真理を語っているのであれば、その言葉を信じて行動することで、あなたも苦しみを乗り越えて幸せになることができるだろう。
東西の聖人たちは想像を絶する苦行に耐えてなお、きれいごとを言った。
だからそれは真実なのだ。
反対に、鵜呑みにすれば身を滅ぼしかねないきれいごともある。
それは、自分が恵まれていることに気づいていない人のきれいごと。
恵まれすぎていて、自分が恵まれていることにさえ気づけないほど恵まれている人の“ありがたいお言葉”は、あなたを救わない。
健全な両親のもとに生まれ、お金にも困らず、良い大学に通い、友人、恋人、配偶者に恵まれ、ぜいたくな放浪のすえに、理想の仕事をしている――そんな引き寄せの指導者がいる。
もちろん、その人なりの苦労はたくさんあっただろう。苦しみは計量できない。
だが、その人の言葉はあなたにとって、人生を切り開くための知恵にはなり得ない。
ある程度しあわせな人が、さらにしあわせになるためには役に立つだろう。
今のあなた。
あなたが今いる場所は、天国だろうか? 地獄だろうか? 理想だろうか? 現実だろうか?
そのときどきごとに、役に立つ知恵がある。
もしあなたが今、天使のささやきのような“ありがたいお言葉”で幸せになれないでいるのなら、ときには悪魔の言葉に耳をかたむけてみよう。
あなたの中にいる悪魔は、じつはそれほど悪くないと私は信じている。