どうしても許せない親を他人として見てみる

2017/05/19

filioparentala

引き寄せの法則やスピリチュアルでは「許す」ことの大切さが強調される。
伝統的な宗教の教典には親を尊敬すべしと書かれている。

それでも、どうしても許せない親、尊敬できない親を持って生まれてしまう人はいる。
それはどうしようもない。
そこに深遠な神の意思があったとしても、すぐに理解することなどできない。

スピリチュアルな理由で親とのつながりを改善しようとするほど、無理やり許そうとするほど、あなたの心の中では怒りが増していく。

そんな親との関係をどうしたらいいのだろう。

一度、親のことを他人として見てみたらどうだろう。

絶縁するとか、冷たく見放すという意味ではなく。

いままでの関係を続けながら、父親のことを「知り合いのおじさん」、母親のことを「知り合いのおばさん」として、他人ならではの敬意と礼儀を持って接してみる、ということ。

父親としては尊敬できない人でも、「知り合いのおじさん」として見れば、共感くらいはできる部分があるだろう。

母親としては許せない人でも、「知り合いのおばさん」として見れば、同情できる部分もあるだろう。

こうして一度、親を知り合いのおじさん、おばさんと見なす。それは「ただの一人の人間」として付き合うということ。ただの一人の人間として付き合うということは、大人として向き合うということ。
親子であるという事実は受け入れたまま、義務と義理さえ果たしながらも、他人というフィルターをかけて見る。
不健全な親子関係が、静かに、密かに、あなたの心の中でリセットされていく。

あなたは会社で少しだけ話したことがあるおじさんには敬意を表すことができるはず。
それと同じように、父親も家族という組織の社員の一人だと思えば、ある種の、最低限の尊敬は持てるかもしれない。

あなたは趣味でつながりのあるおばさんには礼儀正しく、優しい言葉をかけることができるはず。
同じように、母親も「家族という共通のコミュニティに属しているおばさん」として扱うなら、最低限の礼儀と優しさを持てるはず。

親と会話するとき、意識的に敬語を使うのもおすすめだ。
日本語ならではの、敬語の「ほどよい距離感」を生み出す素晴らしい効果を利用しよう。
わざとらしくよそよそしい敬語は反感を買うこともあるので、さりげない部分で自然に敬語を混ぜていくといい。

親とほどよい距離感が――あなたの心の中で――できてきたとき、そんな親を持ったからこそ学べたことがあったのだと気づく。

ただちょっと、不器用な天使があなたの担当になっていただけのことなのだと。
どんな形であれ、親を通してその不器用な天使は仕事を果たしたのだと。
もし親があなたを愛していなくても、神はその親を通してあなたを愛している。
だからあなたも、その親を通して何かを教えようとしている神を愛することができればそれでいい。

無理に尊敬して見上げる必要はない。
離れようと必死で見下す必要もない。
ただ、あなたが会社や知り合いの中で他人に対して持てる最低限の礼儀と表面的な親しみを親に適用することができれば、それで十分、関係は良いものになる。許せる部分が増える。愛せる部分さえ見えてくる。

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